豊臣秀吉の大坂城と現在の大阪城

 大阪の城には、「大阪城」と「大坂城」の2つの漢字が存在します。大阪の「坂」の字は、明治になって「士」が「反」するとされて「阪」に改称されたと言われていますが、真偽は解りません。されど、現実に、明治以前の大坂の陣は「坂」が用いられてますし、明治以後に建てられた現在の城は「大阪城」となっています。その博物館等も「大阪城天守閣」が正しい名前となっていますので、明治以前の城を「大坂城」、現在の天守を「大阪城」と呼ぶのが正しいでしょう。
 別称は金城あるいは錦城と呼ばれてますが、大坂が1868年に大阪と表記するように改まった以降、現在は大阪城と表記するのが一般的です。大坂城は、1583年、豊臣秀吉が豊臣政権の本城として築城したが、大坂夏の陣で焼失し豊臣氏が滅亡した後は、徳川氏によって再建され徳川幕府の関西地方、および西日本支配の拠点として使われました。
 城址は現在の大阪市中央区の大阪城公園となり、名古屋城、熊本城と共に日本三名城の一つに数えられています。

大阪城公園

 大阪城公園は、大阪市中央区の大型緑地公園です。1931年11月6日に開園しています。
 公園敷地内には、大阪城ホール、多目的グラウンドの太陽の広場、軟式野球場、野外音楽堂、ラグビー・サッカーグラウンドなどが整備されています。公園の中でもひときわ高い位置に目を見張らせる大阪城天守閣は、展望台と歴史資料展示の施設として開放されており、遠く生駒山から大阪湾まで大阪平野を見渡せる絶景は観光客の人気が高いスポットと成っています。
 日曜日の昼には複数のアマチュアバンドによる演奏が行われ、かなり賑やかになり、東京の代々木公園さながらの風景です。また、公園内には樹木が多く植えられ、花見シーズンには桜や梅の名所となっています。そして、堀の水辺に集まる野鳥を眺めて家族連れが憩おう姿も多く見られ、都会のオアシスとして市民の支持を受けています。その上、海外からの観光客も多くなっています。
 戦時中には、大阪砲兵工廠がこの場所にあったため、集中的な空襲をうけており、現在もこの周辺で土木工事を行うとよく不発弾が発見されています。

大阪城ホール

 大阪城ホールは、大阪城築城400年を記念した施設として1983年に大阪城太陽の広場と軟式野球場のすぐそばに建設された多目的アリーナです。
 正式名称は大阪城国際文化スポーツホールですが、一般的には大阪城ホールと呼ばれて、管理主体の名称も財団法人 大阪城ホールとなっています。略して城ホール(じょうホール)とも呼ばれています。
 構造は楕円形のドーム式となって、大阪城に近接していることもあり、周囲の景観を損ねないような設計に配慮が施されています。最大収容人数は16,000人ですが、コンサートやスポーツ競技など開催されるイベントの内容に応じ、観客席の定員は変動します。国際級室内陸上競技会が開催可能な規模のアリーナを有する施設としては、日本で最初のものです。
 通常、これだけの大きな空間を持つ施設であると、残響時間は大幅に長くなり更に不自然な反響があるものですが、設計当初よりこの問題を重視し、不必要な音の反響を防止しています。そのため、ライブを収録したCD・DVD、テレビやFMラジオ番組も多く生まれています。


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